大学時代の同級生で絵描きを続けている友人「細川篤」の絵画展です。
4年前に旧リトルパーティーを撤収する直前に一度短い展示をしました。
その際に、移転したら、改めて展示する約束をしました。
海辺や水に関する題名の多いシリーズなので、今年の夏のフリーギャラリースペースでのミュージックフリーとコラボしながら公開しています。
より多くの方に観て頂きたく、夕涼みのカフェと合わせてぜひお立ち寄りください。
開催にあたり知り合って40年近くになろうとしている彼との幾つかの想い出を記してご挨拶代わりにさせていただきたいと思います。
彼は、決して甘いマスクではありませんが、一貫して清貧で清潔な気品のある人です。それは、18の時に大学の美術科の庭で見かけた時から変わらない印象です。
研究室は絵画で、私はセラミックデザイン、クラスも違って居たので、時折見かける程度でしたが、いつも微笑みを称えた優しい目をしていました。
髪も自分で器用に刈って居ました。
同級生の女の子のおじ様から譲り受けたベージュのスバル360とホンダのバイクに乗っていて、週末だけ実家に帰る下宿生活人の私は、時々駅までスバルに乗せてもらいました。
バイクの方は、武蔵美の文化祭の最終日に滑り込む為に、夕暮れの武蔵野の道をスカートの横座りで乗せてもらった事があります。
急遽だったので、研究室のロッカーの上にあった埃だらけのドカヘルをガムテープで止めてケラケラ笑いながら走って行きました。
高校の教員課程に属していた彼は、私などより、圧倒的に確実なデッサン力の有る作品を描いていました。
学生の頃から習作を超えたオリジナリティー溢れる「作品」を発表して、卒業制作のジャズの絵はとても魅力的でした。
瀬戸内海の小さな島の出身で18歳から結婚するまでずっとガソリンスタンドの上の愉快でリーズナブルな不動産物件にアトリエと住まいを構えて居ました。
卒業後お互いに就職して、彼は出版社に、私は研究生を経て桐朋小学校の図工の講師と主婦と焼物の作家活動を広く浅く。。。。
やがて私は母になり、生まれた息子が3歳の夏、久しぶりに一枚のDMが届き、彼が親友の河村くんと銀座で2人展をする旨連絡がありました。
息子を連れて観に行き、最寄りの中華屋で会食して帰ったのち、息子が麦わら帽子を忘れて来た事が判り、郵便で送ってくれました。
その包みと宛名書きの雰囲気がとても味わい深く、彼が「作家」である事が滲み出ていたのを覚えています。
その10年後、夫と別居して母の老後に付き添う間に私は家具の木目復元のアルバイトをしていました。
職場で、もう一人手がいるとのことで、当時美術講師と作家活動をしていた彼を誘ってみたところ週に数日一緒に働く事になりました。
久しぶりに会った彼はやはり変わりなく、微笑んだ顔をしていました。
やがて母の介護が始まった私は職を離れ、最後の夢を叶えるべく自宅でのカフェギャラリーの制作にかかりました。
大学を出てほとんどの友人が正教員になっていく中、講師とアルバイトで繋ぎながら、作家活動を続けて来た数少ない友人です。
彼はいま病の淵に立っています。
いまの私にできる事は、このささやかな企画を通して、生涯の尊敬する心友にエールを送る事だけです。
展示の段取りの内容など先日メールでやりとりしました。
シャイな彼の返信のタイトルに「アリヤとさん」とありました。
そのメールの先に変わらぬ彼の微笑んだ顔が見えます。
どうか、この10点あまりの小さな夏の展示を通して、皆様にも友人細川篤の柔らかな笑顔が伝わりますように。
細川篤の心友店主 中角泰子
2015年8月
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